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桂よね吉の定例独演会を聴いた。
演目は4ヶ。 終わって会場をでたところで、最初の桂二乗さんの演目は何だったのだろうと思い出そうとした。ところが、なかなか思い出せない。まったく思い出せない。 なぜ思い出せないのだろう。 アルツハイマーになってしまったのか。心配になって一生懸命思い出そうとしたが、だめだ。 そこで、言い訳を考えた。 たぶん、二乗さんのあとのよね吉さんの噺があまりにも強烈だったせいだ。 その強烈さで、二乗さんの噺を聞いた印象がまったく消されてしまったのだ。 よしよし、これで一件落着。 しかし、やはり気になる。 数分ぐらい考えると、なんとなく彼の演じる様子が思い出された。 しばらくして、そうだ、「肩こりともぐさ」の話(強情灸)だ。 よかった。思い出せた。まだアルツではなさそうだ。 よね吉さんは毎回、まくらが長い。30分ぐらい話しているときも不思議ではない。まくらというより、創作落語というところか。 今日も、ぞんぶんに笑わせてもらった。 #
by yuyz
| 2013-04-14 09:29
| 私事
小野川温泉旅館の若旦那から映画作りをしているのだとずいぶん前から聞かされていた。
昨日と今日、伝国の杜でその作品のブレミア上映会があり、見てきた。 映画のタイトルは「ヲ乃ガワ」。監督は山口ヒロキ。 見る前は、小野川温泉についての宣伝映画のようなものかなとおもっていた。 見たら全然異なっていた。 小生には音楽も画面もあまり好みではなかった。米沢弁が使われているが、ストーリーもなかなか見えてこなかった。 その映画は、小生の嫌いなSF映画。 我慢して最後まで見た。見た後の感じは悪くはなかった。なんとなくぬくもりを感じた。 映画が終わって、関係者が舞台に。若旦那も壇上にいた。 映画が完成するまでのいろいろな話が聞けた。 若者達が、若者達の考えで映画作りをしたことが理解できた。 小生の好きな映画ではないが、彼らは良くやったと、立派だと思った。 #
by yuyz
| 2013-04-07 16:58
| 私事
新神戸駅で谷上行きの電車に乗ろうと、改札口でスイカをかざした。「ピ」と鳴って、通してくれた。よしよし。
先週、飯塚や福岡でもスイカが使えた。神戸もやはり使えるのだ。 有馬温泉駅について、スイカをかざすと、「ピ」とは鳴らなかった。ゲートも開かなかった。 駅員のところに行くと、「ここはまだスイカは使えないんです」と。「新神戸では使えたよ」と言うと、「すみません。ここはまだなんです」。そして、新神戸駅からの運賃を現金で取られ、スイカ未使用証明書をくれた。帰りに、新神戸でリセットしてもらえとの指示。不便だ。 有馬温泉は十年あまり前に、研究室の同窓会で来たことがある。 そのときは、指示された日の前日に宿に行って、「今日ではなくて、明日だ」と追い返されたことがあった。 今日は、正確に予定通りの日だった。 有馬温泉の桜は三分咲きというところか。 #
by yuyz
| 2013-03-31 15:23
| 出張
松山空港で乗った飛行機は36人乗りのプロペラ機。何と、満員。
その飛行機が1時間弱で福岡空港に着いた。 降りて、外にでると、田川方面行きのバスがあって、飛び乗った。1時間ほどで、近畿大学前に着いた。料金は1050円。 近畿大学の正門で分子工学研究所のありかを聞いて、歩いた。 途中に銅像があったので、それを見ると、世耕 弘一と名前があった。彼は小生が子供のころ地域の有名な衆議院議員だった。彼が近畿大学の創始者である。 研究所に近づくと、1人の若者が居た。彼は、小生を待っていてくれたとのこと。今日は休みなので、建物に入れないので、小生を外で待っていてくれたのだ。 所長室に案内され、今日の目的の所長との話し合いが終わると、1人のおじさんが部屋に入ってきた。彼は飯塚市の課長さん。 その田中課長が市内の2カ所を案内してくれた。 一つは嘉穂劇場で、もう一つは旧伊藤伝右衛門邸。 嘉穂劇場は昭和6年から興業を開始した、いわゆる芝居小屋。いや、小屋と言うよりは大屋か。 入場者数1000名という、ビッグな2階建ての木造劇場。枡席、桟敷席、2階席がきれいに配置されていた。直径16mの回転舞台は地下で12人の人間によって回転させる。 昭和40年くらいまで、この飯塚地域に50ヶの劇場があったとか、 石炭採掘で活気あふれる街の様子が想像できる。 旧伊藤邸は街中にあり、米沢の上杉伯爵邸を大きくしたような家と庭。 この付近は三井、三菱、住友、麻生などが石炭採掘をしていた。伊藤はそれらに混じっていた。 大正天皇の従姉の歌人、柳原白蓮が伊藤に嫁いできた。伊藤は白蓮のために、イギリスなどから調度品を輸入し、応接室や水洗トイレなどを見事に配置した。 華族の女性が成り上がりの実業家に嫁ぎ、10年間ほどこの屋敷で過ごす。そこに、来た若き労働運動者と白蓮は駆け落ち。2人は姿を消した。そして、突然、朝日新聞に伊藤との離縁状を白蓮が掲載。 ただ、伊藤はその後、この2人の経済的サポートをしたとか。 昭和の経済発展時代の賑やかな飯塚地域の姿の一面を見た。 夜は研究室の若者達もまじえて、関さばや関あじなどを楽しんだ。 #
by yuyz
| 2013-03-24 07:33
| 出張
松山空港に飛行機が着陸した。飛行場の両側には、工場が続いている。帝人の工場だ。
30年ぐらい前に来たときは、飛行場はもっと小さくて、前後左右帝人の工場に囲まれていた。今は、飛行場が拡張してジャンボも降りられる大きさになっている。その分工場が小さくなってしまった感じ。 リムジンバスで松山駅へ。そして、駅前のお好み焼きで昼食。 路面電車で愛媛大学へ。 面談まで時間があったので、まず校友会のビルへ。 米沢の100周年記念館のような建物。レストランと就職課が同居していた。 つづいて、博物館へ。 できて七年目の博物館。教員のコレクションをゆったりと、きれいに陳列していた。ただ、客ははいっているようには見えなかった。 博物館のそばのコーヒー店へ。ここは繁盛していた。 時間が来て、図書館のなかにある教育・学生支援機構長室へ。 機構長の松本理事が招じ入れてくれた。 机の上には大量の書類。ちょっと圧倒された。 そこで、松本機構長と小林教育企画室長からの説明を2時間ほど伺った。 今日のメインテーマは、「100時間の教員研修」 松本さんは哲学者、小林さんは解剖学者。 夜もおつきあいいただき、教育、城、解剖の話に花が咲いた。 #
by yuyz
| 2013-03-22 20:58
| 出張
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