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国税庁からe-Taxなるものの書類が送られてきた。
「税金が5000円安くなる」、「確定申告に添付書類がいらなくなる」 おー、これは良い。国税庁もなかなかやるなと思い、書類を読む気になった。 ところが、まず認証カードの登録が必要とのこと。これにお金がかかるとのこと。どこで手に入れて、いくらかかるのか書いていない。 つづいて、カードリーダライタなるものが必要とのこと。これもどこで手に入れて、いくらかかるのかが書いていない。 ここで、やる気がなくなった。しかし、5000円の魅力にかられて、カードリーダライタなるものの価格によってはやってみようかなと、国税庁のホームページに入った。 しかし、どこにも価格についての情報がない。ずっと見ていくとQ&Aがあった。役所が良くやるパターンである。 その中を見ていくと、カードリーダライタなるものの入手に関する質問があった。 よし、とおもって読んでみると、「利用可能な機種や取得費用、取得方法については、各認証局によって異なりますので、詳しくは、電子証明書の認証局へお問い合わせください。」となっている。 「認証局」、新たなる言葉が出てきた。しかも、それがどこにあるかは書いていない。リンクもない。 ここで、e-Taxをやるのをほぼあきらめた。 ホームページをもう少しながめると、「推奨環境」のバナーがあった。みてみると、Windowsは、VISTAまであるが、小生のパソコンのマックのOSがどこにもない。 これじゃ、最初からやれないじゃないか。いろいろと調べさせられてくたびれ損。 国税庁も国民の税金を使って運営しているんだろうが、マイクロソフトのみを取り上げ、アップルのソフトを無視するとはあまりにもひどい。国税庁はマイクロソフトと談合でもしているのだろうか。マックユーザが国税庁のサービスからはずされているのは差別だ。 しかも、このe-Taxなるものは「魅力ある宣伝文句」と「現実」との差が大きく、詐欺商法まがいだ。 二度と、国税庁からの封書は開けないぞと思った。 ▲
by yuyz
| 2007-11-30 05:21
| 私事
今日のメインイベントは経営協議会。
大学外部の経営協議員7名(1名は欠席)と学長、理事5名、病院長が会議のメンバー。 議題は、基本構想委員会の廃止、給料の改定、意思決定のスピードアップと事務業務の簡素化、川崎電機の研究所の購入、大学評価結果、予算の執行状態など。 川崎電機の研究所(上山市)の購入に関してはいくつか質問があった。使用していない建物を、有効利用してほしいとの申し出でが川崎電機からあり、検討した結果、購入を決めたものである。 外部の人にとっては、一年に数回程度の会議なので、大学の実態の認識がまず大変のようである。それでも、現在のメンバーの大半は4年目なので、山形大学の実状を良く把握されている。 会議の後半はフリートーキングとなり、分散キャンパス問題、学部の再編、予算と人員減、入試と就職対策などに意見が集中した。 米倉斉加年さんから、写真のような来年のカレンダーをいただいた。このカレンダーには毎月、米倉さんご自身の絵が描かれている。また、ご自身の紹介のところには、画家米倉斉加年と書かれていた。多才な方だと、いまさらながら感心した。 ![]() ▲
by yuyz
| 2007-11-29 06:16
| 大学内
午前中は、社情国の4人のユニット長と打ち合わせ。学長とコーヒータイム。
その後、大場工学部長と一緒に、A銀行を訪問した。意見交換の冒頭に、C頭取が「最近、大粒の企業のトップとお会いしていて、人材、特に優秀な工学系人材の確保が、彼らにとって非常に大きな課題となっていると感じています。地方への企業進出もそれがポイントとなっています」と切り出された。 それに対して、「我々は優秀な人材を育成しているし、もちろん企業誘致の点でも協力させていただいています。ただ、長期的視野にたって求人していただけると良いのですが、企業はとかくその時の収益で求人数を決めるので、困っています」と現状を説明した。 その後、大学のあるべき姿、大学や社内での人材の育成方法、産学コーディネート機能の強化、中国の姉妹校との交流促進などについての意見交換とお願いをした。 C頭取は「企業の社員構成はハイブリッドがベストだ。色々な考えの人がいて、社内で文化の違いによるトラブルが起きるぐらいがちょうど良い」との考えを披露された。 夕方は東京で、サテライトの矢作さんと一緒に、B証券を訪問した。そこで、法人企画部の方やベトナム事務所長と会った。最近のベトナムの政治・経済および教育事情についての意見交換をした。 我々は、ベトナム留学生の受け入れ促進を考えており、それに対するサポートのお願いに行ったのである。 ところが、事務所長からは、「ベトナムの人たちは、留学生の派遣よりは現地に山形大学のベトナム分校を造ることを望んでいますよ。分校を造ることを考えられたらいかがですか」と、こちらの予想を超える提案があった。 「前向きに考えます」と言わざるを得なかった。さすがの小生も「やります」とは言えなかった。分校の実現には、まず本学の先生方がどの程度協力してくれるかが重要な因子であり、その予想がつかなかったからだ。準備不足であった。 帰りの電車の中で、「なんとか、実現したい。具体的にどのような手順で実行していくか」と考えているうちに米沢に着いてしまった。 ▲
by yuyz
| 2007-11-27 22:21
| 出張
「アポとれましたか」と中島理事から通すがりに声をかけられ、忘れていたことを思い出した。それから、おもむろに山口大学本部秘書室に電話をした。
「山形大学の小山ですが、22日に学長を表敬訪問したいのです。時間帯はどこでも結構ですので、30分程度お時間をいただけませんか」 「どんなご用件ですか」 「特に、用件はないのですが、ご挨拶に伺いたいのです」 「………」 秘書室の方は、困っているようだった。どうやらうさんくさいやつだと思われているらしい。 「学長は、私が行くことをご存じだと思うのですが」と汗をふきふきいうと、 「しばらくお待ちください」 かなりの時間が経過してから、「午後2時にお待ちしています」との返事を何とかもらった。 山口大学のホームページにアクセスすると、副学長が友人の三木さんであることが分かった。そこで、もう一度山口大学本部の秘書室に電話をした。 「先ほど電話した小山ですが、22日、三木さんは宇部ですか、山口ですか」 三木さんが担当する「産学公連携・創業支援機構」は宇部市にあり、大学本部は山口市にある。 しばらく調べてくれてから、「その日は山口です」 「では、1時半から30分間、三木さんの時間をいただけませんか」 「どんなご用件ですか」 「特に、用はないのですが、三木さんのご都合がよければご挨拶をしたいのですが」 「………」 またもや、困っているようだ。何とも図々しいやつだと思っているのかもしれない。 「三木さんが工学部長の時に、私も工学部長でしたので、何回かお会いしていますし、米沢にも来ていただいたので、ご挨拶したいのです」 「では、三木に確認してから返事をします」 「だめなときだけ、電話してください。オーケーの時は、そのままで結構です」 こんなやりとりの後、22日に山口大学にお邪魔した。 きちんとデザインされた、きれいなキャンパスだった。街中から引っ越したそうだ。 三木さんは、にこやかに私を迎えてくれた。「研究と産学公連携を担当しており、宇部と山口は半々ぐらい。産学公・創業支援機構の中を再編成しようと考えている。組織は5年も経つと欠点が目立ってくる」などと、相変わらずチャレンジングな様子を話してくれた。 丸本学長は農学部の出身で、中島理事とは研究仲間とのこと。大学教育機構の役割、研究費獲得と配分、会議のあり方、地元との密接な関係づくり、学内人事のやり方などについて、情熱的なお話を聞くことができた。 30分の予定が1時間にもなってしまった。山形での再会を約束して、退室した。 ▲
by yuyz
| 2007-11-26 21:34
| 出張
山形駅から大学の公用車に乗って、山形テレビ局へ。今日は山形テレビのスタジオで留学生の日本語スピーチコンテストがある。
まず、昼食をとりながら審査の打ち合わせ。審査は内容と表現力で行い、8人の審査員の合計点で、順位決める。 本番前に、ディレクターが会場に向かって「まず、拍手の練習をして下さい。拍手をするときは、にこやかに微笑みながら」と拍手の指南をしてくれて、我々は3分ぐらい拍手を続けた。その間も、テレビカメラは回っていた。 本番の発表者は中国、韓国、ラトビア、エジプト、フィンランド、台湾からの17人の留学生。題目は「本当に幸せになれるのか」、「6枚のふせん」、「サーシャが見た」、「日本・幻の国」、「私は私」、「応援したい、応援されたい」など、留学生が自らの経験から拾い出したものが多かった。 私にとって、特に印象に残ったのは、フィンランドからのヨーナス・キリシさんのスピーチ。 「みなさん、もみじ公園を知っていますか。行ったことがある人は手を挙げてください」と会場の人を巻き込んで型破りにスピーチを始めた。 彼は、もみじ公園のもみじに興味を持ったのではなく、茶室に興味を持ったとのこと。外から見た茶室は小さな家だったが、中に入ると広く感じた。なぜかと考えて、ふすまがポイントだと結論した。ふすまを開くと、その奥にまたふすまがあり、それを開くとまた奥にふすまがあり、ずっとふすまがつづくと思ってしまう。それが広く感じた大きな要因だと。 確かに、そんな印象を小生ももったことがあるなと思った。 これ以外の発表も、留学生ならではの体験と感じ方がにじみ出ており、日本人にはない視点が多く含まれていた。練習の成果もあるのだろうが、すべてのスピーチが、日本語として聞いていてまったく違和感がなかった。 始まる前は、たぶん退屈するのだろうなと思っていたが、まったく退屈せず、あっという間の2時間だった。楽しい日曜日だった。 ▲
by yuyz
| 2007-11-25 21:38
| 大学内
萩へは、以前から一度行ってみたかった。
萩は、阿武川の下流の三角州が中心地。三角州が海に面するところに標高143mの指月山があり、そこに萩城がある。三角州は城下の上級武士が住んだ城下町。見事に碁盤の目に道が造られている。 三角州の外に生まれた人達は、下級武士か農民だったそうだ。地図から判断すると、吉田松陰、伊藤博文、山田顕義たちは農民か下級武士ということになる。 小生は、まず松下村塾を訪れた。観光バスが何台か止まっていて、多くの観光客でにぎわっていた。松下村塾は小さな家で、そのまま保存されていた。ここは、人の多さで騒然とし、江戸末期に思いをはせる雰囲気ではなかった。 松下村塾の隣に伊藤博文の旧宅があった。そこは小生の他にだれもいなくて、静かだった。 井上、桂、山県、田中、久坂、高杉などの生誕地や旧宅を訪れたが、あまりにも著名人のゆかりの地が多く、それほど感慨深くはなれなかった。 最後に野山獄跡に行った。ここは松陰が受刑者仲間に教育した有名なところである。しかし、跡地から当時の様子を実感するのは、難しかった。 今回の萩は、急ぎすぎたからかも知れない。もう一度、ゆっくり来ようと思った。 写真は松下村塾。 ![]() 武田さんが作ってくれた旅の指令書では、萩のバスセンターから津和野にバスで移動し、お昼は津和野で食べることになっている。 小生は、津和野という言葉は知っていたが、津和野はどんな町で、何があるのかに関する知識は一切なかった。なぜ、津和野に行くのかなと思いつつ、津和野の駅に着いた。まず、指令書にしたがって、15時33分のSL列車を予約した。新山口への移動のためである。 駅員に「近くで、昼食を食べるところはないですか」と聞くと「あおき」を紹介された。行ってみると「予約で一杯だ」と断られた。 駅前の観光案内所で、ガイドを頼んだら、全員予約があってガイドできる人は誰もいないとのこと。 なぜ、そんなに混むんだろう。 そこにいた人に「津和野は何の町なんですか。いつ誰が作ったのですか。何が有名なんですか」と聞いた。彼は次のように説明してくれた。400年ほど前に坂崎氏が山頂に城を築き、城下町として津和野の町を作った。坂崎氏は15年間ほどで、家名断絶となった。その後、亀井氏が250年間支配した。国民新党幹事長の亀井久興氏は第15代津和野城主の三男なのだそうだ。亀井氏は藩校養老館を作り熱心に子供達を教育していた。幕末には森鴎外がここで学び、非常に優秀だったそうだ。 そこで、森鴎外の旧宅と津和野城を訪れた。標高367mの津和野城の天守閣跡地に立つと、それはそれはすばらしい眺めだった。また、そこには、多くのカメラマンが大きな望遠カメラを三脚に乗せてSL列車を待っていた。 ![]() 帰りは、SLやまぐち号の中、煤煙のにおいにつつまれて、遠い昔の汽車の旅を思い出した。 ![]() ▲
by yuyz
| 2007-11-24 23:03
| 出張
今週も羽田から飛行機の旅。
宇部山口空港に降り立ったとき、なぜか胸がジーンとし、感無量のものがあった。崩れたベルリンの壁を見に行ったときと同じ様な期待と感慨があった。 明治維新を策謀実行し、以後140年間の日本を形作ってきた人達の出身地、長州に降り立った。小生には初めての山口だった。 飛行場を後にするとバスはすぐに高速道路へ。さすが、長州。30分もすると、新山口駅に到着。新山口駅はのぞみが止まる駅で、山口駅とは違う。元の名前は小郡駅だ。 宿は新山口ターミナルホテル。朝食込みの宿泊料金は4980円。随分安いなと思った。夕食場所を探して駅前の街中へ。食べもの屋はちらほらしかない。予想が少しはずれた。 翌朝、新山口駅から山口駅へ。2両編成のディーゼルカー。単線だった。30分ほどで、県庁所在地の山口駅に着いた。小さな駅である。 明治時代の工部卿の山尾庸三の生まれ故郷(山口市)に向かう線路が単線で駅がひっそりとしている。小生の予想を遙かに超えて(見事に裏切って)いた。(ちなみに山尾庸三は東京大学工学部前身の創立者) タクシーの運転手の話によると、山口市は人口20万足らずで、県庁所在地としては日本一人口が少ないそうだ。さらに、土地の価格も県庁所在地としては日本一安いそうだ。 会議が終わって、長州のお城があった萩への移動。 山口から萩までは、鉄道が通っていなくて、バスの旅。しかも、高速道路もなく、普通の山道を揺られて1時間45分。 長州藩がそのまま山口県になったので、いわば新県都から旧県都への旅。さらに、山口県は明治以来8人もの首相を出した県。山尾の故郷から吉田松陰や伊藤博文たちの故郷への道に、線路も高速道路もない。鉄道王とも言うべき井上勝は萩の出身であるにもかかわらず。 萩での夕食は、寿司屋に行った。カウンターで親父と話しをした。彼によると、萩の人口は5万人ぐらいで、山口よりは暖かくて雪も少ないそうだ。しかし、何の産業もないので若者が地元に残らない。萩はさびれていく一方だという。 あの明治維新を起こした偉大な人達の故郷が発展しないでいる。 不思議な感じがした。 偉大な人達は、日本を良くするために必死になるあまり、故郷を置き去りにせざるを得なかったのだろう。 山口県人、長州人は偉大な人達だ。故郷に新幹線も引かず、高速道路も通さない。故郷の発展のために、大企業の誘致も国の機関の誘致もしていない。 「私(わたくし)」を捨てた人たちなのだ。萩の街を歩きながらこのように考えた。 ▲
by yuyz
| 2007-11-24 12:45
| 出張
成形加工学会の秋季大会(成形加工シンポジア07)を21日と22日に山口市で開催した。山口県教育会館と社会福祉会館、自治会館の3会場をお借りしての開催である。
実行委員長は山口大学の合田先生。代表幹事は中国地区で適当な方にお願いできなかったので、徳島大学の南川先生に引き受けて頂いた。綿密に準備されていたようで、会議は非常にスムーズに進んだ。 中国地区での初めての開催であったので、新しい分野と新しいメンバーの発表が多かった。二日間とも約600名の参加者が各会場で熱心に聞き、討論に参加していた。 特別講演は萩博物館の一坂太郎氏と富士通研究所の河原田元信氏であった。偶然分かったのだが、河原田さんは山形大学の卒業生で小生の一年先輩である。 1日目の会議終了後、湯田温泉のホテルタナカで懇親会があった。合田実行委員長の企画で、畳の部屋での開催であった。 小生が、浴衣と羽織の出で立ちで会場に行くと、200ほどのお膳が一堂に並び、見応えがあった。浴衣・羽織姿は小生一人であったが、会長だから良いかなと思って、なるべく堂々としていた。小生と実行委員長の挨拶の後、酒席になった。しかし、いつもより静かな感じがした。拍手の音もあまり響かない。和室は吸音効果が良いのだと、実感した。 2日目に、会場の近くの山口県庁をお邪魔し、和田商工労働部長を表敬訪問した。今回のシンポジアに多くの協力をしてくださったお礼に伺ったのである。 そこでお会いした原田主査の名刺には「調整班」とあった。「班とは珍しいですね」と聞くと、彼は「野球チームからサッカーチームへと変身させるために、掛りから班に変えたのです。全員でゴールを目指すのです」 なるほど、うまい比喩だと感心した。 写真は県庁のすぐ横にある瑠璃光寺の五重塔(国宝)。560年ほど前に大内氏が建立。 ![]() ▲
by yuyz
| 2007-11-23 23:55
| 出張
米沢は今朝初雪だった。積雪は20cmぐらい。夢中で米沢駅まで歩いた。職場に着いたら、左足が痛い。靴下を脱いでみると、靴ずれが出来ている。雪道なので滑らないようにと新しい靴を履いたらこの始末。
朝の学長室のコーヒーミーティングは一週間ぶり。先週、学長はアメリカ出張だった。学長が、ニューヨーク州立大学への訪問報告をしてくれた。 小生は、山形大学ヨーロッパサテライト構想の説明をした。理学部の岩田先生のグループが駐在しているスイスに、本学のサテライトを置く構想である。みなさんの了解を頂いた。 理事室では、山形大学の購入ソフトの管理、人事給与システムの更新、VBLの運営、委員会のあり方などについて打ち合わせ。 午後は、東北朝日プロダクションのインタビュー。いくつかの学内打ち合わせ。国際センターのミーティング。 夜は、日本経済新聞社山形支局で勉強会。「山形フロンティア21」の第99回例会で、講演した。課題は「工学部、そして山形大学のなやみ」である。 これに対して「山形大学は研究でいくのか、教育でいくのか」「少子化で高校の数はかなり減った。大学の数はどうして減らないのか」「私立大学の職員は国立大学の職員に較べて数が少ない。また、一人一人やる気があるがどうしてか。山形大学はどうするのか」「理科離れはなぜ起きたのか」「法人化したのだから、各大学でいろいろな入試方法を独自に採用できるのではないのか。」・・・。 多くの厳しい質問と前向きなコメントをいただいた。 ▲
by yuyz
| 2007-11-19 23:49
| 大学内
朝、ヴィッツのカーナビをセットして、紅葉末期の中を鶴岡へと向かった。
途中、湯殿山への登り口付近では、すでに雪が道路の縁に積もっていた。明日は、無事帰れるかなと心配しながらも鶴岡に着いた。 今日は、「藤沢周平の山形」第2章、鶴岡版である。 前回のように、まず小生が主催者山形大学学長に代わって挨拶をした。次のような内容である。 私は、もともと工学部の教員で、文学とははるかに縁遠いところにあります。しかし、熱烈な藤沢ファンです。 研究室では、学生が実験研究を主にやっています。私はたまに学生に「藤沢周平の小説をどれでも良いから、一冊買ってきなさい」といいます。そして、「はじめの1ページをノートに写しなさい」といいます。 その学生の実験レポートからは、実験の様子がなかなか分かりにくいので、藤沢小説を写させたのです。藤沢小説は最初の1ページ、あるいは1行で、読み手を小説の世界に引き込みます。学生には、そこまでいかなくても、実験の状況をうまく描写して、実験をしていない我々も実験した気分になれるレポートを書いてほしいのです。 米倉斉加年さんは、『静かな木』を1時間あまり、心をこめて朗読した。主人公の孫左右衛門が「枯れゆく欅のように死ねれば良い」と思うところから始まるが、やがて「緑の生い茂った欅のように生き生きと生きるのも良い」という思いに変わってゆくのが実感できた。米倉さんの朗読は、何度聞いてもほれぼれする。 また、解説の時に、刀の鯉口を切って、刀を抜いて、追いかけてきた相手を峰打ちで打つ場面を実演して、作品の文章との比較をしてくれた。なるほど、作品に書かれている描写は実に理にかなっているのだなと納得した。藤沢さんも実演をしながら書いたのかと、つくづく感じ入った。 つづいての3人の朗読も、すばらしかった。目を閉じていると、藤沢作品の中に引き込まれ、心地よい時間をもてた。 しかし、米倉さんのアドバイスは厳しかった。「朗読に方向性を出しましょう。自分を出しましょう。自分がなぜこれを選んだか。自分が何をしたいかを全面にだして朗読しましょう。藤沢周平になりきらずに、周平さんと距離をおいて、自分と周平さんを対峙させながら読みましょう」と言われる。 小生は、藤沢作品を読むと、心地よいので、その中にひたってしまう。自分をなくす方向に読んでいた。小生は普通の会話でも、他人の話を聞いて、なるほどと引き込まれてしまい、納得してしまう。自分と相手とを対峙させることが非常に苦手である。 今回も、米倉さんのアドバイスを聞いてなるほどと感心してしまった。自分はアドバイス通りにはできそうもないのに。 ▲
by yuyz
| 2007-11-17 17:44
| 出張
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