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M係長から「最近のブログはいただけない」とのお叱りを受けた。
たしかに、このブログは、M係長からの命令で始めたもので、「受験生、保護者、高校の先生、予備校の先生達が、学部長を身近に感じられるように書くこと」が趣旨であった。 はじめは、その意識がきちんとしていたが、最近はこの初心を忘れがちであった。反省をしている。 ところで、後任の学部長も決まり、このブログの役割もまもなく終了である。八ヶ月間、ブログを続けることができた。自分の予想をはるかに上回る長い期間であった。これも、ブログを読んでいただいた多くのみなさんの励ましのおかげです。ありがとうございます。 来る8月30日をもって、このブログの学部長室からのリンクを停止します。ただ、ブログはしばらくこのままとし、研究室からのリンクは続けます。 ▲
by yuyz
| 2007-08-29 07:26
| 大学内
今日は、工学系の博士前期課程(修士課程)の入学試験。朝8時前に学部長室へ入る。入試担当の尾形先生の控えとして、学部長室で待機。尾形先生は、出先から直接来られるのだが、遅れる可能性があるとのことだった。
幸いにして、試験監督者の集合時間に間に合うように尾形先生が到着し、挨拶の後、監督者への説明、その後、基礎科目の数学と英語の試験が始まった。 学部の入試よりは、受験者数が少ないが、「ミスがないように」と祈る気持ちに変わりはない。 午後は、専門科目。我々の専攻では、口頭試問による専門試験である。小生も試験員として参加した。 受験生の方たちは、スーツにネクタイ。小生は、クールビズでラフスタイル。申し訳ないと思った。 試験場に入ってくると、ほとんどの受験生はカチンカチンに堅くなっていて、質疑がぎこちない。少し気持ちを和らげてあげようとしてやさしい質問から始めるが、彼らは難しい質問と誤解して、ますます堅くなっていく。こうして我々試験員と受験生の真剣勝負が繰り広げられた。 試験員の役割を終えて緊張から解放され、学部長室にもどった。全体の試験はまずまずの進行のようだ。 その後、来客が集中した。 明日の試験も順調でありますようにと祈りつつ上杉伯爵邸に向かった。社会人博士学生さんらとの懇談会。 その席で「日本の文化を輸出することによって、日本の産業の発展がある」という話を伺った。 小生は、文化の輸出と企業業績とが密接に関係するという認識は初めてであり、非常に印象に残った。 ▲
by yuyz
| 2007-08-23 22:52
| 大学内
新工学部長が決まりました。大場好弘氏です。
同時に、新評議員も決まりました。黒田充紀氏と東山禎夫氏です。 平成19年9月1日から二年間、山形大学工学部の運営を担当します。みなさんのご協力をよろしくお願いします。 大場氏は有機合成が専門で、昨年度のベストティーチャー賞を受賞した方です。かなり痩せているのですが、エネルギッシュです。 黒田氏は材料の非線形力学設計が得意で、現在は工学部長補佐を担当しています。一見恐い感じがしますが、ほんとうはきわめて心優しくおおらかな方です。 東山氏は電気エネルギーが専門で、雷が大好きです。大場氏と同様、痩せているのですがエネルギッシュです。現在、米沢市の参与にもなっています。 小山、尾形、飯塚の3人は、8月31日をもって、工学部長室を退任し、それぞれの道で、 「入学して良かった」 「学べて良かった。面白い研究ができた」 「卒業生であることを誇りに思う」 と、今まで以上に思っていただける大学になるように、与えられた立場で最善を尽くします。高校生のみなさん、保護者の方々、高校の先生方、在校生のみなさん、卒業生のみなさん、山形大学に関心をもっていただけるみなさん、今後ともご支援をいただきますようお願いします。 なお、小山は9月1日から山形大学の理事として、社会連携・情報・国際交流を担当することになりました。 ▲
by yuyz
| 2007-08-21 23:18
| 大学内
月刊誌、「未来材料」の八月号に書いた巻頭言をブログに転載したいとお願いしたところ、快く許可をいただいた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 学生の頃、木の葉の葉脈やへりの「形」、地図上の海岸線の「形」に興味を持ったことがある。「形」が美しく、どうしてこんな形になるのか、規則性はどうなっているのだろうかと思いながら、ずっと眺めていても飽きなかった。 植物、特に広葉樹の葉は、なるべく多くの光を受けられるように薄くて広い面積を持ち、それを支えるためと水分の供給用に葉脈がある。この必然によって、形の規則性が決まってくるのだろう。機能が形を作っている。 海岸線は、陸地の岩や土の成分に分布があり、それが川水、海水、風などによって浸食されてできる。言い換えると、材料自身の成分分布の一部が、形として表面に現れ、それが地図上では海岸線となる。その形により、港ができたり、海水浴場になったりして、人間が有効利用している。もちろん海の生物たちの生きる場ともなる。形が機能を作り出しているとも言える。 葉は、機能が形を作るといえるが、芽吹いたばかりの小さな葉も大きくなった葉と同じ(相似)形をしている。DNAによって、形が決まっている。葉がだんだん大きくなっていく様子を現象面から見ると、成長とともに「流す」、「形にする」、「固める」の過程を無限回繰り返しているはずだ。自然界では、植物、動物などほとんどの生物は、成長とともに形を作っている。そして、成形加工と同様な過程を経ている。 自然界では、非生物の海岸線や川、谷のように初期の大枠の形を作った後に、「流す」プロセスを経ずに「形」を浮き出させるものがある。一方、山のように、(緩慢なものも爆発的なものもあるが)地殻の動き(「流す」)を経て、「形」をつくり、「固」まってできるものもある。 我々は、製品を造るときに、内部構造の「形」や外側の「形」に関して、自然界のものを模倣して造ることが多い。自然に学ぼうとしている。合成繊維は天然繊維の内部構造の形を模倣し、飛行機は鳥の形を模倣している。形の模倣によって、自然界と同様な機能を実現しようとしているのである。 ところで、「形を作るプロセス」における模倣はどうであろうか。 成形品の内部構造についても、自然界をお手本にしている例が多い。たとえば、ポリプロピレンなどの射出成形品は、スキンとコアー構造をとる。具体的には、金型に接する成形品の表面近くは急冷により微細な球晶構造あるいは配向構造をとり、スキン層を形成しているのに対して、成形品の内部は徐冷条件のため比較的大きな球晶となっていてこれがコアー構造となる。ものが造られる過程で自動的に内部構造が決められていく。 ところが、成形品の外形(形状輪郭)を上記のように自己組織化で作っている例は少ない。材料にあらかじめ何らかの仕組みを入れ込んでおいて、自己組織化で葉のような形を作る。こういった方法を取れる材料作りが、未来のプラスチック成形加工の一つの課題だと思う。 海岸線に近い方法で形づくりをしている例としては、合成皮革に使われている超極細繊維がある。2つの成分を口金という「型」を使って紡糸し、一方の成分を溶かして取り出すか、2つの成分を分離して使うという工程をとる。 山に相当する「形つくり」はプラスチック成形加工では普通である。車のバンパーでも、シャンプーの容器でも、「流す」、「形にする」、「固める」を一回の一連のプロセスとして成形している。 ただし、山の形つくりとプラスチックスの形つくりとの大きな違いは、「型」の有る無しである。 自然界の形つくりでは、葉の場合や海岸線の場合に置いても「型」を使うことはない。「型」を使うのは、人間の特徴かもしれない。「型」に材料を流して、「型」にそって形をつくり、「型」の形に固める。現時点で人がやる作業や考え方には「型」が重要のようだ。それを超えたとき、ものつくりは大きな変革を遂げることだろう。 ▲
by yuyz
| 2007-08-20 23:50
| 研究室
学長の選に漏れた瞬間は、緊張感からの解放からかホッとしたことを覚えている。
翌7月27日の朝、工学部長の辞任願いを書いて事務に提出した。(これは、教授会の承認後に評議員のお二人の辞表と一緒に学長に提出し、受理された) そのころ、自分への嫌悪感からか、他人に会うのが嫌だった。いろいろなことが頭の中を錯綜していた。 少し時間が経って、「定年まではここで働かせてもらおう」「教育と研究に専念しよう」とようやく前向きに考え出した。そう思うと肩の力が少し抜けたようだった。心なしか学生さんの実験データを見る目に冴えが出てきたようだし、技術相談などの対応にも手応えを感じ始めていた。 しかし「378人の意思を無視するのか」という思いが、どうしてもひっかかっていた。「自分勝手ではないか」「逃げるのは卑怯だ」「もう少し、大人になったらどうだ」「自分が大学をこうしたいと声を張っていたのは何だったんだ」………。 葛藤は続いたが、依然として小山としては、教育・研究に専念するのが良いと信じていた。 そんなとき、非常に多くの方々から、お叱りと励ましのご意見を、直接に、電話で、手紙で、電子メールで、ブログのコメントなどでいただいた。主な内容は以下であります。 ○裁判や行政措置などで戦うべきだ。 ○大学の自治、学問の自由を守るべきだ。 ○工学部は独立すべきだ。 ○納得するのですか。 ○せっかく選に漏れたのだから、研究生活に専念すべき。 ○大学を良くするために働くべきだ。 ○新体制の中に入るべきだ。 戦うべきだとの意見は学外の人が多く、新体制に入るべきだとの意見は学内の人たちが強かった。いずれも山形大学と小山のことを考えてくれての意見であり、行動であった。いろいろな意見は小生の身体の中にしみ込み、自分自身の軸足作りに、非常に有益だった。ありがたいと思った。 2週間ほど経って、かなり落ち着いて考えられるようになっていたが、「新体制に協力する」ことを考えるにはまだまだ心のわだかまりが強く、かなり抵抗感があった。 「重要なのは、誰に仕え、誰を裏切るかではない。何を大切に思い、何を守り通すか、だ」の言葉に接したとき、妙にわだかまりが無くなる思いがした。「大切なのは山形大学であり、守るべきは山形大学の学生だ」と。 そうすると、自分は何にこだわっているのか、何にすねているのか、何に頭にきているのか、どうしたいのかなどを、少し大人の立場で冷静に考えられるようになった。 「教員に専念する」ことと、「新体制に積極的に協力する」こととの、葛藤である。「自分勝手で無責任だ」と「378人を裏切るのか」とのせめぎ合いである。 しばらく、同じことを毎日考えた。ただの堂々めぐりだ。 時間のみが経過していく。 学長候補適任者としての所信のなかで、自分がやりたいと思ったことは何だったんだろう。「山形大学を良くしたい」だったはずだとの思いがだんだん強くなっていった。小山個人としてのことはいつでもやれる。でも、山形大学を良くするために、今、小山にやれることがあるのではないか。 「山形大学の新学長への積極的協力」、「与えられた職で、自分のできることを精一杯努力する」。 葛藤の末に小山が到達した結論である。 多くの方々に叱咤激励の言葉と行動、意見、サゼッションをいただいた。ここに皆様方の厚意に心から感謝します。 ▲
by yuyz
| 2007-08-18 00:36
| 大学内
ネット通販で、新しいマッキントッシュを買った。一番シンプルなMacBook。
今までのマックはiBookで、OSが9.1である。「小生のパソコンはマイナーだから、ウイルスフリーだ」と威張っていたが、最近ウェブで動画などが見られなくなったり、暴走したりしていた。そこで、大枚を叩いて七年ぶりに新しいパソコンを買うことにしたのだ。マック専門店に行って買おうかともおもったが、今回は通販にした。 注文して二日目で、自宅に届いた。早速セッティング。マニュアルによると、まずネットのケーブルを繋げろとのこと。七年前の書類を出してきて、いろんな数値を打ち込んだが、うんともすんとも言ってくれない。そこで、モデムの電源を切って、リセットすると、ようやくメールが動くようになった。 つづいて、ホームページを見にいこうとすると見えない。ブラウザのSafariはいっさいつないでくれない。困った。ホームページを見るために新しいマックを買ったのだから、これが見えないと意味がない。どうしよう。 いろいろ調べても分からなかったので、プロキシなんとかというのをオフにした。そうすると、ブラウザが動いた。研究室のホームページを見ることができた。CNNのニュースやムービーが見事に見えた。これで、オーケー。 テキストエディターで文書を書くと、カタカナ変換が自由にいかない。いらいらしながら、やはり「ことえり(マック標準の日本語変換プログラム)」はだめだとの結論に達した。 そこで、ATOK(日本語変換プログラム)を通販で買うことにした。今回は、ダウンロード製品を買うことにした。これがやっかい。絶望的だった。まず、会員登録をしろ、メールを見てもう一度ホームページに戻れ、何とかの番号を入れろ。とても、人間に優しいとは言い難い。途中でなんどかやめようと思ったが、ATOKはほしいの一心でひたすら耐えた。ついに、ダウンロードができ、インストールができた。今度は、ユーザーズ登録をしろときた。途中まで進んだが、途中でなにやら分からない言葉が出てきたので止めた。まあ、使えれば良いんだ。 そのATOKを使って、このブログを書いている。速くて、快適だ。 それにしても、こんな面倒なことをみんなが普通にやっているんだろうかと強く疑問に思った。 使う立場になってのシステム作りになっていない。作る立場の防衛論理で作られたシステムのように思える。 我々大学も同じようなことをやっているのだろうかと心配になった。 ▲
by yuyz
| 2007-08-16 23:23
| 私事
小生の大失敗談を米沢工業会誌に掲載していた。ブログに再掲してもよろしいとの許可がでたので紹介させていただく。
「小山先生が10月、釜山での会議に参加すると聞いたが、その時我々の大学にも立ち寄ってくれないか、と慶尚大学の黄博士(Assistant Professor)からメールが来ていますよ」と、秘書の武田さんに言われた。 黄博士は、複合系流体シミュレーションの分野で非常に有能で将来有望な若手研究者だと思っていたので、行ってみたいと思った。すぐにスケジュールを確かめたところ、会議の前日9日は体育の日で休日であった。 「大丈夫だ、行きますか」と返事をした。 それから1ヶ月余り経って、スケジュールを武田さんからもらった。黄博士は金海空港まで迎えに来てくれて、会議の日には会場まで送ってくれるらしい。まずは一安心。 この韓国行きの前には、福岡でレオロジー討論会が水、木とあり、金、土には松山で全国の国立大学の工学部長会議があった。土曜日に松山から東京まで戻って来て、さらに米沢まで帰るかどうか迷った。釜山行きの飛行機は月曜日の11時に成田発だから、東京発8時半ぐらいの電車に乗る必要がある。朝米沢発では無理なので日曜日に東京に泊まらなければならない。結局、往復の時間とお金の節約のため、土、日と東京に宿をとることにした。 日曜日に、宿で慶尚大学での講演と、韓国高分子学会30周年記念大会での招待講演の準備をした。 夜、いつもの日曜日の日課である大河ドラマを見終え、しばらくしてから気持ちを韓国行きに切り替え、旅行の支度を始めた。その途端、 「しまった。パスポートが無い」 韓国行きを国内出張と同じように思いこんでいたのだ。 「どうしよう。黄博士は空港で待っていてくれるだろうし、講演会もセットしてくれているはずだ。困った。パスポート無しでは、いくらなんでも、韓国に入れてくれないだろうなぁ」 頭の中が真っ白になった。パニックである。落ち着け、落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせ、時計を見ると9時38分。 米沢行きの最終は東京発8時36分だから、米沢に帰るのは無理である。 「・・・・・」 しばし、全身、絶望的な無力感に襲われる。 どこにパスポートがあるのかすら定かではない。自宅か研究室か。 まず、娘に電話した。出ない。この親の一大事にどこかに出かけているらしい。 多分、パスポートは研究室にあるはずだ。そこで、武田さんに電話したが、武田さんも電話が通じない。伝言を残す。 「杉本先生は? あぁ、南アフリカだ」と思い、西岡先生に電話した。すると、谷口先生夫妻と4人で飲んでいますとのこと。邪魔をするのは申し訳ない。次に、博士課程の角前君に電話した。彼は何と長岡にいて、「先生、パスポートがないんですって?」もう事情を知って心配してくれたが、いかんせん長岡では何も頼めない。もう1人の博士課程の植松君に電話した。彼はいた。しかもアルコール気なしで。車で動ける。 「実は、パスポートを忘れてしまったのだ。すまないが、今から研究室に行って、あるかどうか見てくれないか」とお願いする。 やがて武田さんから電話が来た。 「パスポートを忘れた。植松君が研究室に向かってくれている」と言うと、彼女も「研究室に行ってみます」とのこと。 「研究室にあるかなぁ」と心配しつつも、あった場合、どうすればいいのか考え始めた。夜走る宅配便のようなものがないかと思ったが、東京発はあっても、東京行きはないようである。 ともかく、現状は、パスポートは米沢にあり、私は東京。今は、日曜日の夜10時で明朝8時30分には東京から成田に向かわなければならない。米沢からの一番列車は東京着9時24分。最悪である。 その時、娘がバスで東京に行ったことを思い出した。 「そうだ、夜行バスがある」 ホームページでバスの時刻表と連絡先を探した。あった。米沢営業所前発午後10時40分発で、東京着午前5時35分があった。予約の電話をしたが、夜間電話受付時間も終了していた。 研究室に電話をすると、植松君が着いていた。 「研究室の本棚の2番目の棚の付近にこんなファイルが無いか!?」お願いする立場で、怒鳴るように指示を出している。 数十秒のうちに、 「それらしいのを見つけました!」 「中身を見て!」というやいなや、彼は 「先生、パスポートがありました!」と叫んだ。 やった。第一ハードルクリア! まもなく、武田さんが来て、間違いないことを確かめてくれ、どうしようかとの相談になった。彼女は「私がバスで持っていきましょうか」と言ってくれたが、ためらっていると、植松君がさらりと「僕が行きますよ」と言ってくれた。 時間の余裕が無いので、植松君の好意に甘えることにした。彼は以前にその夜行バスに乗ったことがあるらしい。「先生、バスの座席、予約してありますか?」と聞かれた。「していない」というと、「乗れますかねぇ」と心配しつつも「ともかく行ってみます」と言ってくれた。 彼がバス停に行く間、乗れなかった場合のことを考え始めた。インターネットで調べると、福島12時50分発のバスがある。これは、ホームページ上で座席残数が見られるようになっていて、残り一席だった。きわどい。「これを予約するしかないか」と思いながら時計を見ると10時30分。植松君がバス停に着く頃である。 彼に電話すると、「先生、二十数人並んでいます」とのこと。 「あなたは何番目ぐらいなの」と聞くと、「真ん中より後ろの方です。乗れなかったら、トランクの中でもいいから乗っけてくれと言いますよ」と心強いことを言ってくれた。 「席がありますように」と祈った。 10時35分。 「先生、僕が最後の1人でした。乗れます」 やった!!! これで一安心。 「恩にきる。植松君が神様のように思えるよ」と心から言った。 翌朝、5時半に東京駅八重洲のバス停に向かうと、向こうからパスポートを高々と挙げて、こちらに近づいてくる植松君がいた。彼はパスポートを渡してくれながら、軽い調子で「先生、早く思い出して良かったですね」と慰めてくれた。ともかく、感謝。 命が縮まる思いをした8時間であった。 無事、飛行機が韓国に着き、黄博士の迎えを受け、その日の大学での講演を終えた。夜の歓迎会で、彼は照れながら「私は学科長なのです、若いけど」と言って、支払いをクレジットカードでしてくれた。 翌日、ホテルに迎えに来てくれた黄博士は、「夕べ、違うカードを使ってしまった」とおろおろしていた。彼は、大学のカード2枚と研究プロジェクトのカード2枚と自分のカード1枚を持っていた。大学から預けられた接待用のカードとプロジェクトのカードを間違えて使ったらしい。 「人間、誰しもぽかをやるもんだ」 彼の失敗を見て、すこし慰められた(私のぽかは、比べものにならないくらい大きかったけれど)。そのせいか、力が抜けて、招待講演も無事に終えることができ、ほっとした。 ▲
by yuyz
| 2007-08-14 16:39
| 出張
今日は、共同研究の打ち合わせで、S社にお邪魔した。研究成果について議論し、今後の進め方について打ち合わせを行った。その後、懇親会となった。
お酒が進むにしたがって、研究員の方から自由な発言が出るようになる。 先日、社内で発表会があり、そこでM氏が発表した。 問題は、発表前に行う上司の前での練習会。 まず、すぐ上の上司に訂正箇所を指摘され、訂正した内容を部長の前で話すと、大きく修正される。そして、修正した結果を所長の前で話すとさらに修正され、つづいて取締役の前で話すと、最初の自分の発表内容と同じような内容に直せと言われる、と嘆いていた。 小生は「自分の原稿でも、書いた次の日はこれはまずいと思って修正する。一週間ぐらいしてから読むと元の原稿の方が良かったと、修正することがあるでしょう。だから、元の原稿にもどることはごく普通なんだ」と慰めた。 また、彼によると、発表会ではまず取締役が厳しい質問をするので、他の人から質問が出ないとのこと。自分の発表に対する質問が少なかったことに対する不満を訴えていた。 小生はその不満に直接応えることをせずに「あなたが、将来取締役になったときには、まったく馬鹿とも思えるような質問をしなさい。そうすると、まわりの人達が質問をはじめるよ」とアドバイスした。 さらに「小生のような立場になると、プライドが邪魔をして、何でも知っているようなふりをして質問しがちだ。しかし、そうすると、まわりが憶して、次の質問をしにくいものなんだ。プライドを捨てて(本当にわからない)幼稚な質問をすると、まわりの人達は安心するようで、いろいろな質問が出始める。現実にはなかなかプライドを捨てるのは難しいけどね」と解説した。 ▲
by yuyz
| 2007-08-10 23:44
| 出張
今日は、臨時の運営会議と教授会(大学院理工学研究科博士前期課程米沢地区委員会)を開催した。そこでみなさんに今回の学長選考の報告と事後の対応に関することをお諮りした。
その後、運営会議のメンバーの暑気払いを「いずみ野」で行った。小林さんの司会で、いつも以上に盛り上がった。特にI氏とT氏の掛け合いは見応えがあった。おもいきって笑い、時間を忘れて、みんなと焼酎を味わった。 そんな中で、仲間の一言が妙に耳に残った。 武田家臣の甘利氏の言。 「重要なのは、誰に仕え、誰を裏切らぬかではない。何を大切に思い、何を守り通すか、だ」 真田幸隆はこれを実践したそうだ。 ▲
by yuyz
| 2007-08-07 23:31
| 大学内
授業が終わり、千歳空港に着いた。混雑で遅れたJALの飛行機がようやく滑走路を走り出した。突然、ガツーンという音。飛行機はその音にもかかわらず、離陸を始めた。
胴体着陸をすることになるのかな。でも、羽田なら緊急体制も設備も整っているだろうから多分大丈夫・・・などとぼんやり考えていたら、眠ってしまった。 目が覚めると、滑走路を走っている。もう着いたのか。速かったなと思った。 しばらくすると、誘導路の途中で、飛行機が止まった。 何かあったのかと思って、となりの座席の老婦人に聞くと、「鳥かなにかが、離陸のときにエンジンに当たって、千歳にもどってきたのよ」という。 そうか、羽田ではないのか。 しばらくすると、飛行機は再び動き出して、また止まった。オープンスポットに停止してエンジンを調べるらしい。 機長から「ただいま、会社と交渉中です。この飛行機でもう一度飛ぶか、別の飛行機に乗り換えていただくかを10分以内に判断してお知らせします」とアナウンスがあった。 小生は自分が会社の担当者だったらどうするかと考え始めた。 ○羽田などの国内空港で待機状態にある飛行機を探して、千歳に持ってくるよう手配する。そして、1時間後の出発便の機材に我々を乗せ、その便の客を手配した飛行機で運ぶ。 ○JALの他の羽田行の便や他空港へ行く便の空き席を調べ、できるだけそちらに回す。残った客をANAなどにお願いする。 などと、その場合の手配の方法や人員配置などを考えていた。 まもなく、「別の飛行機に乗り換えていただきます」というアナウンスがあり、バスで、搭乗口までもどった。長い列に並んだ末、1000円札とANAのチケットをくれた。1000円は今回のJシート代金の返金。ANAのチケットは、33Fだった。後ろの方の真ん中の席。 彼らの決断は、小生の考えより進んでいて、ANAの座席を買い取ったようだった。 ▲
by yuyz
| 2007-08-04 20:34
| 出張
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