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米沢駅の窓口で、「おうばく、往復」と言ったら、係員の人はきょとんとしていた。
「奈良線のおうばくです」 それでも、分からなかった。 そこで、窓口にあった時刻表をお借りして、地図を見たが、おうばく駅は見あたらなかった。 窓口の中では、彼もそれなりに努力をしてくれている。 小生も久しぶりに見る時刻表。ふと気がついて、関西地区の詳細地図を探すと、ありました、黄檗が。「ここです」と言って、係員の人に時刻表を渡した。 ようやく、切符が手に入った。 久しぶりの黄檗駅。増渕先生が駅まで迎えに来てくれた。 京都大学化学研究所は過去に数回来たことがある。それで、おおよその土地感があった。しかし、キャンパス内は工事中で、分かりにくいし、土曜日で建物には電子ロックがかかっていて、迎えに来てもらわなければ、往生したことだろう。 建物の中に入ると、昔と変わらなかった。 昔々、小生が大学4年生で、卒業研究を始めたときのことを思い出した。 当時、溶融紡糸の装置とX線の装置が一体になった『万能紡糸解析装置』なるものが繊維工学科に納入されたばかりだった。小生が、その装置を始めて使う人間になった。 合成繊維を作るときに、分子がどのように並び、どのように結晶になっていくかを調べることが、石塚教授から小生に与えられた研究テーマだった。 類似の研究をした人がいないかと調べたら、唯一、日本人の書いた論文があった。その人は旭化成の研究員だった。 論文を読めば読むほど、その人の研究が気になった。すばらしい研究だった。 そこで、「お会いして、お話をお聞かせいただけませんか」と丁重に手紙を書いてから、大阪府高槻市にある研究所をお訪ねした。 すると、なんとその人、つまり主任研究員の片山さんは、小生を快く迎えてくれて、実験装置を見せてくれ、論文について、現在の研究について、今後の研究についてなど、懇切丁寧に指導してくれた。 全く縁もゆかりもない一人の学部生に対して、会社の主任研究員が丸一日もの時間を費やしてくれたのである。 片山さんは偉大だと思う。なかなかできないことだ。 ときどき、今の小生に同じことができるだろうかと自分に問いかけることがある。 ともかく、そのようにして、小生の研究が始まった このときの片山さんの1つ1つの言葉が、その後の小生の研究生活に大きく影響した。 片山さんは、数年後に旭化成から京都大学化学研究所の教授に移られた。 それで、小生は、恩人の片山先生がおられる京都大学の化学研究所を何回か訪問したのだ。 片山先生は、十年以上前に京都大学を定年になられて、化学研究所を去られた。 化学研究所の建物の中を歩きながら、片山先生のことを思い出し、しばし懐かしさにひたった。
by yuyz
| 2008-12-20 23:24
| 出張
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