「喘息は大丈夫ですか」とよく声をかけられる。
「せきは落ち着いたのだが、声が出なくなった。たぶん喘息の薬のせいかな」と答える。
声が出にくい。
これからの残りの人生、声が出ないままの生活かなと、ときどき思う。
人と話すには、かなりの努力が必要。声が出ないから。
自然と、人と会うのを避けるようになる。人と会うと声を出さなければならないから。
そうすると、色々な情報交換のチャンス、新しい人との出会いのチャンス、会話の中で考えるチャンス、自分たちの研究を理解してもらうチャンス、山形大学を理解してもらうチャンス……を失っていく。
なんとなく、自分は社会の裏街道をひっそりと歩いている気分になる。みじめな気分になる。
自分自身がいやになる。それを感じると、生きていることに対する疑問が出てくる。
少し元気なときは、「声が出ないのを気にするな。声が出なくても良いではないか」と思う。しかし、それはまれである。
今日も、四日市への出張であったが、声を出すのがおっくうで、普段の半分程度の情報交換しかできなかったと、くやみつつ米沢に戻ってきた。