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会議日程の後半、夜の8時半に、バンケット会場までホテルからバスが出発するという。
8時20分ごろ、ホテルの玄関に集まると、バスが一台出発したところだった。 しかし、まだ沢山の人があぶれて残っていたので慌てずに待っていると、次のバスがきた。 そのバスに乗ったは乗ったが、どこに向かって走っているのかはまるで分からない。マイクロソフト製プログラムを使うように、身をまかせて、どこに行くかは考えないことにする。 バスはリスボンの北郊外をまわって、南東へ進路を取った。30分ぐらい経過すると速度を落とし、ある建物の玄関前広場に到着。そこには、すでに多くのバスが駐車していた。 バスから降りて古めかしい建物(「Convento do Beato」と書いてあった)に入ると、甘い食前酒を渡され、二階へ誘導され、石造りのスペースに入れられた。かなり広いが屋根はない。5mほどの高い壁が周りを囲っている。窓ははるか上の方に数個あるが鉄格子がはまっている。みんなで、この場所はなんだろうと議論。結論は「囚人の運動場ではないか」。 1時間近く、そこでぶらぶら。 すると、ついに人の群れが動き始めた。ついて行くと、一階の大きな部屋に数えきれないほどの数の大テーブル。小生は中央の空いている席に座った。となりは、インド人。彼はミシガン州立大学の教授だった。 料理がでて、ファドの熱唱があった。 最後に、次回、4年後のこの会議ICR(International Congress of Rheology)の開催場所の紹介があり、「日本の京都」とアナウンスされた。 すでに、真夜中の1時すぎ。 多くの友人達と京都での再会を約束して、ホテルに着いたのは、午前2時を過ぎていた。長い長い1日だった。
by yuyz
| 2012-08-11 03:39
| 出張
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