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南三陸町役場の一人の職員と家族を米沢に迎えた。
地震後、役場の職員はそれぞれの分担に沿って行動することになっていた。 彼女が、指定の場所に行こうとすると、上司から「ここに居なさい」と言われた。 そして、津波が来ることが分かり、高台に避難。「指定された場所に行っていたら、私はここにいないだろう。上司に助けられた」と。 避難後、長女も次女とも連絡が取れない。電気も水道も来ない、寒空を見ながら「だめだったか」とあきらめの気持ち。 次女は3日目に一つの避難所にいることが分かった。 長女は数日経過しても、安否が分からなかった。 そんなとき、東京から友人が南三陸町まで来てくれた。友人が持ってきた新聞には長女の写真が出ていた。 その新聞記事で長女が無事であることが判明。 南三陸町の7割の家が津波で持っていかれた。 彼女の自宅も流されて無くなっているが、フローリングの一部、駐車場と植木が残っていた。駐車場にあった水道の蛇口などはきれいに無くなった。 今日は米沢で、一ヶ月ぶりに買い物をし、ラーメンを食べて感動すると同時に、「みんなにもうしわけない」とつぶやいていた。 彼女は福島原発のニュースをテレビで見て、「福島で何かあったの?」と。南三陸町内のことしか知らないようだ。 南三陸町は、まだ電気も水道もガスもない。
by yuyz
| 2011-04-17 09:16
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