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この2日間、カリフォルニア大学サンタバーバラ校の中村修二教授と行動をともにした。
まず、山形県立興譲館高校の講堂での講演。 中村さんは、非常にハイテンションの状態で話を始めた。 自分の高校時代は物理が好きで、受験勉強は嫌いだった。特に、国語や歴史は大嫌い。歴史は何のために学ぶのか理解できない。何年に、何が起きたってかまわないではないかと。 物理が好きで理学部に行こうとしたが、担任の先生から「就職ができないよ」と止められ、工学部へ。 大学一年生の時に、一通り授業を受けたが、高校の延長で、全く面白くなく、下宿にこもって、物理や数学を勉強。そして、その間に、自分の人生について考えたとのこと。 父親から「大学を卒業してくれ」と言われ、再び大学に行き始め、卒業した。卒業研究が面白くなって、修士を修了。 就職は、指導教官の薦めで、日亜化学へ。日亜化学では、1人で開発室を担当し、赤色ダイオードの開発。お金もなく、指導者もいない。非常に苦労した。製品を作ったが、いくらも売れなかった。 そこで、当時の社長に「青色ダイオードを研究したい。そのために、アメリカに留学したい」と言うと、簡単にオーケーが出た。それで、アメリカに留学。しかし、アメリカでは博士の学位を持っていなかったので、テクニシャンとしてしか扱われなかった。それが、悔しくて、帰国してから、博士の学位をとろうと大学の門を再びたたく。テーマは論文を書きやすいという基準で選んだ。そして、青色ダイオードの発明につながった。 自分の体験を通して、高校生や大学生に対して、「自分のやりたいことを見つけて、それに打ち込め」と強いメッセージを送っていた。 1日目の夜は『こんどう』。2日目は上山温泉の『古窯』。 中村さんの、裁判での苦労やベンチャーの面白さを聞いた。 特に、日本とアメリカでの裁判の進め方、考え方の違いを強く主張。アメリカは口頭でのやりとりを大切にし、しかも個人を尊重する裁判。日本は書類でのやりとりと、大企業などの大きな集団を尊重する裁判とのこと。
by yuyz
| 2010-09-08 09:17
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