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プラスチック成形加工シンポジアでは、長崎総合科学大学のブライアン・バークガフニ教授による文化講演が印象に残った。タイトルは、「長崎を通して日本が学んだこと」
私は27年も日本に住んでいるが、日本語が下手で誤解を与えるかもしれない。あらかじめ許してください。 ある時、こどもが目の病気になり、妻(日本人)にものもらいの薬を買ってくるように頼まれました。 私にははじめての単語だったので、忘れないように「ものもらい、ものもらい、ものもらい、……」と口の中で繰り返しながら薬局に行きました。 薬局で、「"もらいもの"の薬を下さい」と言うと、店の人はきょとんとしていました。 落語のごとく見事なまくらから始まった。 講演のところどころに、おもしろい小話がはめ込まれていた。 例を二つあげてみる。 *** 私が結婚する時に、彼女の父親が反対した。結婚のお願いに行くと、「どこの馬の骨かわからん奴に娘を嫁にやるわけにはいかない」と言われた。 奇妙なことを言われると思い、「私は馬の骨ではありません。人間です」と主張した。 *** 地元の人と酒を飲む機会が多い。そのたびに言われる言葉があった。「ブライアンさん、あなたは長崎に骨を埋めるつもりか」。 非常にリアルな言葉であり、驚いた。「私は生きているので、骨になる気持ちはない」と答えていたが、なかなか納得してくれない。最後には「骨を埋めます」と言わざるを得なかった。それまでには、ずいぶん酒を飲まされた。 ***** 長崎は江戸時代から日本人、中国人、オランダ人がそれぞれの居住区に住みながら争いもなく仲良く過ごしてきた町である。そして、食べ物、住まい、着るものなどが、少しずつミックスしていったそうだ。 「そして、ワカランという言葉が生まれました。この言葉の意味はわかりますか」と我々に問いかけてきた。そして、「わからんでしょう」と言う。爆笑である。 答えは、『和華蘭』だそうだ。 さらに、「私はカナダ人なので、加を加えて、『和華欄加(ワカランカ)』を使うようにと、長崎県知事に要望している」とのこと。 国際交流の極意は長崎にある。つまり、日本人と外人とが互いにメリットがある状況を保ちながら交流した歴史が長崎には残っている。共通目的と共通利益をもって、情報交流することが大切だとの主張しておられた。
by yuyz
| 2009-11-09 23:18
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