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お昼過ぎに、米沢キャンパスへ。
修士論文公聴会の会場に着くと、武田さんが要旨集を準備して待ってくれていた。 「こちらです」と。 教室の中に入ると、まもなく時間が来て、公聴会開始。 小生は司会役。 修士2年生は緊張した状態で発表をはじめる。 質疑応答の時間になって、先生方は発表をフォローするような質問をする。しかし、発表者は硬直状態で、ぎくしゃくした応答。 小生はにこにこしながら、次の質問を会場から求める。 しかし、似たようなやりとり。 小生にとっては、いつもの公聴会だが、発表者にとっては一生に一回の公聴会。 先生方の質問を受けて、頭が真っ白になるのが理解できる。 高分子研究界の世界の大御所の井上先生から、「君の英語の発表は国際会議でも十分通用するよ」とのコメントをいただいた学生もいた。 小生の修士のときよりは、国際化がすすんでいる。 夜は、修士論文公聴会を聴いてくれていた客員教授の1人と一心太助へ。 そこで、ある学生の思いやりに触れてしみじみと感動した。山形大学の学生さん。すばらしい青年。
朝の学長室コーヒータイムは来年度の結城プラン(山形大学のアクションプラン)についての話し合いと、安田理事のアフリカ出張報告。
その後、就職や教務との打ち合わせ。 午後は米沢へ。 九州大学から田中敬二教授が米沢キャンパスを訪問。工学部の関連研究室を訪問し、 「これだけ陣容がそろっているところは世界ではここしかないですね」との評価をいただいた。 田中先生の今日の講演は「ソフトマテリアルにおける動的不均一性」。 固体とは何か、液体とは何か、それらの違いは何かについて、本質的な掘り下げをしてくれた。その後に、最近の研究成果を報告していただいた。 会場の秦ホールは満員状態。学生達も熱心に田中先生の話を聞き、質問をしていた。 話を聞き終わった女子学生の曰く、 「九州大学の教授なので、お爺さんを想定していたけど、イケメンのお兄さんだった」。 夜は、小野川に場所を変えての懇談会。 田中先生からは、「私が学生のころ、学会で小山先生から励まされたことを今でも意識しています」との話を聞かされた。小生にはそのときのシーンがうっすらとしか思い出せなく、恐縮してしまった。 世界のソフトマテリアルのダイナミックス研究のトップを走る研究者から、最近の研究とネットワークについての貴重な話を聞くことができ、実に楽しい時間だった。
「International Workshop on Polymer Rheology for East Asian Young Scientist」
と題した会合が米沢キャンパスの100周年記念館であった。 この会合では日本学術振興会(JSPP)のサポートで招待した若手研究者達が発表してくれた。今回は福島の原発事故にもかかわらず、インドとタイから12人の若手研究者達がきてくれた。 彼らの発表を聞いていて、タイやインドも研究の分野では世界標準だと思った。15年ほど前にタイに訪問し、研究交流したときは、タイの大学で研究するにはまだまだ大変だと感じたが、今や研究センスは同じだ。 発表後の懇親会では、タイの女性研究者達が元気が良く、我々の研究室の男子学生達を圧倒していた。
読売新聞山形版の2011.2.5付インク壷に以下の文を掲載しました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 小生が所属していた学科では、学部3年生が10月に、配属先の研究室を決める。8年程前のこと、小生の研究室にやって来た中にずば抜けて優秀な成績の学生がいた。 成績が特に優秀な学生は4年生を経ずに、学部3年生から修士課程に飛び級入学できる制度がある。彼は学部の卒業研究をスキップして、修士課程に入学。2年後に修士論文を仕上げ、修士の学位を取った。 続いて、博士後期課程に入学。彼は、研究プロジェクトを2つ持ちながら自分の博士論文の研究もし、飛ぶ鳥を落とす勢いで実験は順調だった。 ところが、博士課程の標準年数の3年を経過しても博士論文が出てこなかった。彼は3つの研究テーマを見事にこなしていたが、それを論文としてまとめることができなかった。 博士課程4年目になったが、論文はまだできなかった。奨学金もなくなり、経済的にも苦しんだ。時々、「どうだ」と声をかけると、「頑張っています」と答える。しばらく様子をみていたが、4年を経過したところで、単位取得退学をすすめた。彼はそれに同意し、退学届けを出して密かに研究を続けた。 論文を専門誌に投稿して、拒絶されることも幾度か。彼はいよいよ追い込まれていき、顔もやつれてきた。「どうだ」と聞くと、「両親が帰って来いと言ってくれています」。 「そうか、それでどうする」。 「……もう少し頑張りたい」。 小生は彼に隠れて、父親に電話をした。父親は、「息子に研究の才能は無いと思う。別の道を探してやりたい」と言う。小生は「彼に研究の才能はあります。将来立派な学者になります。もう少し私に任せてくれませんか」とお願いした。不信顔の親父さんを何とか説得し、今までと変わらない日々が続いたが、彼の顔はさらにやつれていった。 そんなとき、ある国立大学での助教の公募を知り、彼に応募を勧めてみた。彼はほとんど期待せずに応募した。ところが、博士の学位をもった多くの応募者がいたのに、驚くべき事に、彼の採用が決まった。彼が、まだ博士の学位を持っていないにもかかわらず。 そして、彼はその大学に赴任し、研究者として歩み始めた。半年が経過し、博士論文を無事作成し、公聴会を迎えた。全国から50人ほどの研究者が集まった中、見事に発表し、博士の学位を取得した。飛び級から長い年月が経過していた。 彼の父親からの手紙には、子供への愛が書きつづられており、読んでいて涙が止まらなかった。親の愛には、懐にかき抱く愛と、離れた所からじっと見守る愛がある――と思った。
米沢駅で東京行きのつばさを待っている時に、武田さんから携帯電話に「日本レオロジー学会の理事会の日程について」のメールが入った。
レオロジー学会に電話すると、「会長、内閣府のホームページに載ったんです」と事務局長の興奮した声。 「ありがとう。良かったね。ご苦労さんでした」 「ほんとうに嬉しいです。ようやく新法人が出発できます。ありがとうございました」 つばさの電車の中で、これまでのできごとを思い出し、感無量だった。 昨年の5月に、小生が会長に選出され、その総会で新法人への移行のための定款を承認していただいた。その時に、軽微の修正を含めて承認をしていただいた。 そして、内閣府の公益認定等委員会の窓口を叩いた。委員会に申請書を提出する前に、指導していただくとのことで、そこに相談。窓口の人はきびしい。細かい字句の修正を指摘するとともに、手続き方法についてのくどくどした指導もあった。 昨年の10月に日本レオロジー学会の臨時総会を開催し、委員会から指導された定款を諮るとともに、会員に不利益にならない範囲の定款修正を含めて、総会で承認していただいた。 これに基づき、公益認定等委員会に申請した。申請後も窓口の人からの細かい指摘が続いた。指摘のたびに、学会事務局や我々執行部は対応せざるをえなかった。いっこうに進展しそうもない。困った。 今年4月になって、窓口の担当者が替わった。今度の人もいくつか定款の修正を指摘。しかし、親切な対応だった。今度は行けるかもしれないとの感触をもち、5月の学会総会の時に、3回目の定款を諮った。なんともむなしい。3回も総会に定款をはかるということは、会長として能力がありませんと言っているようなもの。 9月には答申が出そうだとの情報が入り、新法人発足のための総会と理事会の日程を設定をした。しかし、10月に入っても答申したとの情報がなかった。設定した理事会や総会の日程をキャンセルせざるを得なかった。 そして、11月26日の内閣府のホームページに、「公益等委員会の池田守男委員長から管直人内閣総理大臣に対して、『社団法人日本レオロジー学会を一般社団法人日本レオロジー学会への移行認可基準に適合すると認めるのが相当である』と答申します」とのことが掲載された。 これで、新法人への手続きが始まる。 まずは、登記。これで、新法人が発足。そして、いままでの社団法人の解散総会。社団法人の解散決算のための理事会と総会議題のための理事会を開催することとなる。 今回のメールはその日程調整。
朝の学長室コーヒータイムでの話題は、『結城プラン2010の中間評価』、『概算要求』、『新任教員へのサポート』、『科学研究費』など。
『結城プラン2010の中間評価』については、小生担当の国際交流が、「年度内の達成は難しい」と自己評価した項目が多くなってしまった。監事からは、「やる気が無いのではないか」と厳しいお叱りを受けた。 その後は、日常の理事の業務。 午後、遅くに米沢キャンパスへ。 中小企業基盤整備機構の方々との打ち合わせ。 その後、T社の社長をお迎えした。彼は、この会社の4代目の社長。小生は初代の社長からのお付き合い。特に、2代目社長とは親密にお付き合いをした。この会社は、小生達が開発した装置を市販品にして、ひろく世界に広めた。 今回、新しい装置を開発し、看板商品を作りたいとのことで、山形大学を訪問してくれたのだった。
土、日と夏合宿という名の研究発表会が米沢キャンパス内であった。元々は、研究室の修士、博士課程の学生と我々が遠刈田温泉の企業寮をお借りして合宿をしていたのだ。いつのころからか、その寮が無くなり、学内で実施することになって、合宿とは名ばかりになってしまった。もっとも、卒業生や元研究室の教員達はゲストハウスに泊まっているので、彼らにとってはまさに合宿である。
ともかく、15人ほどの発表者に対して、ほぼ同数の卒業生や教員が参加。朝9時から夕方まで、2日間びっちりのスケジュール。 1人、約1時間が持ち時間。 その間に、出される質問やコメントの例は、 「何を目的にしているのか」 「いま、やろうとしていることが何かをきちんととらえていないのではないか」 「今やっていることは、まったく意味がないのではないか」 「聴衆にやさしくない」 「何を測定しているのか、全然分からない」 などの厳しいコメント。 「基準となるデータをまず取ろう。それから異常値を見よう」 「仮説は無いのか」 「モデル実験をやったらどうか」 「もっとシンプルな実験にしたらどうか」 「△△を考えて測らないとだめだ」 などの提案型のコメント。 「会社にいる人間としては、図の書き方1つで、あれは駄目人間だと烙印を押されるよ」 「測定値で数字が沢山ならんでいるが、どこまで意味があるのか」 「今後の予定に、時間の数値を入れてきちんと作ること」 など、企業人ならではのコメント。 いずれも、先輩達は根気よく質問とコメントをつづけてくれた。学生達は、その質問やコメントに対して、真摯に立ち向かっていた。なかなかたいしたものだ。 秘書の武田さんも研究発表したが、1人の学生からの質問は印象に残った。 「なぜ、研究されているのですか」
『地球環境対応の材料・加工技術・製品 〜最新の技術動向〜』と題した成形加工夏季セミナーが山形大学国際事業化研究センターの秦ホールで開催されている。
招待講演は、山形大学の城戸淳二教授、落合文吾教授、井上隆教授と住友加工紙の西尾太一社長。その他、14件の話題提供者。ソニー、トヨタ紡織、BASFなど。 いずれの会社もリサイクルや植物由来のプラスチックの利用をめざしているようだ。例えば、ソニーは環境活動として、2050年までに石油由来のバージンプラスチックの使用量をゼロにするとのこと。 ただ、植物由来のプラスチックなどは、まだまだ価格や機能が石油由来のプラスチックに比して劣っており、多くの技術開発が課題として議論されていた。 夜は、寿宝園で自由討論会。研究開発、新技術、人材育成、会社経営などの話。 小生のとなりには大阪の会社社長が座った。そこに、若い女性研究者が来て、研究の話をしていたが、社長は突然、 「結婚しているのか」と質問。おやおやと思ったが、その女性は 「結婚したいんです、社長、どうすれば良いですか」と素直に社長に質問。社長は 「結婚するには三つの重要なことがある」 「教えてください」などのやりとりの後、社長が言うには、 「勘違い。魔が差す。酒の勢い」 とのことだった。
夜、研究室に行くと、背広にネクタイ姿の学生さんがちらほら。
「おや、何があったんだっけ」 「修士課程の入学試験だったんです」 「そうか。ところで、できた ? 」 「イャー。面接でも、自分でどう答えたかを覚えていません。頭の中が真っ白になりました」 「みんなそんなもんだよ。あまり気にする必要はない」 などの会話。 以前は、修士課程の入学生数が定員の2倍以上になる時もしばしばあった。それは、修士入学の希望者が多かったことと、修士修了生の就職が学部生より有利だったことに原因があった。その傾向はいまでも変わっていない。 ところが、最近、入学定員を大きく上回って合格者を出すことがなくなった。 これは私立大学からの声によるのだろうと想像する。私立大学では、入学定員より多くとると、文科省からおしかりを受けていた。「それなのに国立大学が入学定員より多く合格者を出すとはけしからん」との不満。 研究室の学生達の顔を見た後、「みんな合格しますように」と祈った。
研究室は千客万来。お菓子が次から次へと積まれた。
今日は、植松さんの博士論文の公聴会。 会場の秦ホールに入ると、多くの人がすでに座っていた。 公聴会が始まる前の数分間は静寂。講演者に緊張を強いるかのようだ。 開始時間となり、植松さんの紹介から始めた。 「植松さんは山形大学では機能高分子工学科に入学。しかし、小生が担当した授業はいずれも履修しなかった。そのためかどうかは不明だが、成績優秀で飛び級で修士に入学。修士課程は平凡に修了したが、博士後期課程ではなかなか修了できませんでした。今年の4月、福井大学工学部の助教となり、現在に至っています。……」と。 その後、植松さんは、比較的ゆっくり、丁寧な口調で発表を始めた。 聴衆は40名程度か。福井大学の田上さんをはじめ、京都大学、日油、住友化学、キャノン化成、日立化成、細川洋行、日本バイリーン、……などから遠来の客。山形大学名誉教授の高橋眞映さんも千葉から駆けつけてくれた。学内からは10名ほどの教員。それに研究室のメンバー。 45分間の発表終え、質疑応答に入った。 発表の具体的な内容についての疑問点などが次から次へと発表者に投げかけられる。それに対して、植松さんは見事に応えていた。途中で、眞映さんが「伸長粘度の非線形性のスイッチングをゾルゲル転移で説明していたが、どんな状況下でそれを発想したのか」と数学者の質問。植松さんを大研究者としての扱い。しかし、この質問は彼には難しかったようだ。 45分間、質問の嵐が続いた。まだまだ質問が続きそうだったが、時間どおりに公聴会を終了させた。 その後、審査員による講評と評価。 つづいて、研究室の学生達は、植松さんの発表に対する慰労と遠来の客をもてなすためにパーティーを開催していた。小生は、外部審査員としてきていただいた田上さんを寿宝園に案内した。 < 前のページ次のページ >
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