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インドでは、普段土曜日に授業がある。しかし、今日の土曜日はどういうわけか、大学や高校は休みだった。
午前中は、クリアンさんが休みだからコチン市内を案内してくれるという。 まず、ケララ州の博物館へ。 博物館では、ケララ州とコチンの勉強をした。 原住民の話。 ユダヤ人が来て、コチンにシナゴーグを作った。今もそれが残っている。 つぎに、宣教師のトーマスがコチンに来た。それ以来、キリスト教が普及した(いまでも、ケララ州ではキリスト教が3割、イスラム教が3割、ヒンズー教が4割と、キリスト教の割合が他地方に比べ多いそうだ)。 その後、ポルトガルのバスコ・ダ・ガマがコチンに来て、ヨーロッパとインドの航路を発見、発展させた。何度かの航海の後に、コチンに住み着いた。コチンには、バスコ・ダ・ガマの住んだ家が残っていて、その家の前はバスコ・ダ・ガマ広場となっている。その隣にバスコ・ダ・ガマを埋葬した教会があった。 つづいて、オランダがコチンを占領した。ダッチパレスというオランダ人が住んだ大きな家がコチンにあった。 その後、イギリスがインドを統一して統治した。その前のインドは多数の王国が乱立していた。イギリスの統治は約100年間。今もインドにはイギリス文化が色濃く残っている。自動車も左側通行だし、ところどころの交差点には信号の変わりにラウンドアバウトがある。 戦後、イギリスから独立。新しいインド統一国家として出発。その後、パキスタンが、そしてバングラデッシュが、インドから独立した。 昼食は海岸近くのレストランへ。バナナの葉っぱの上に、カレーやご飯をのせてある定番スタイル。 朝食後は、露天ショップで、ココナッツを買ってもらった。ストローで飲む果汁は淡い味だった。ココナッツはケララ州の果物。 午後は、クリアン夫妻と娘さん(大学生と高校生)の4人家族が、小生をボートツアーに連れて行ってくれた。 クリアンさんが、「山と海のどちらが良いか」と質問してくれたとき、小生はすぐに「ボートに乗りたい」と言ってしまった。 クリアンさんは、小さなボートを借り切ってくれた。 奥さんは、熱い紅茶、サンドイッチ、ケーキなどを作ってきてくれて、まるで水上ピクニック。 ボートツアーの間に、コンテナ船、光ケーブルの敷設船、一日以上のボートツアー用カヤ船、漁師の釣り船など多くの船と出会った。 いくつかの島々をめぐってのボートツアーは、小生を優雅でリッチな気分にしてくれた。 夜は、コチン大学の日本語の先生をしているタカコさんの家に、連れて行ってもらった。田舎道を1時間あまりドライブ。でこぼこ道を車が無秩序状態で走る。道には、自転車が少なく、バイクが多い。渋滞で流れが止まったときなど、クリアンさんは「インド人は交通ルールを守らない」と怒っていた。そして、彼はひとり頑固にルールを守っていた。 コチン大学には日本語の入門コースとディプローマコースとがあるとのこと。彼女はすでに定年を迎えたが、コチン大学の客員教授をしていて、ディプローマコースの授業のみをしているとのこと。 彼女は小説の翻訳や科学技術のレポートの翻訳などをしていて、ケララ州では有名人。 彼女の夫はインド人で、船の通信士で世界を航海していたそうだ。日本に来たときに彼女と会い、彼女は親の反対を押し切って、40年前にインドに嫁に来たとのこと。 現地語、英語、日本語がランダムに飛び交う会話で、にぎわった。 途中、突然停電し、一つの電灯のみが光りを残した。 「どうしたんですか」と聞く前に、「計画停電です」と説明してくれた。 「どうしてこの電灯だけついているのですか」 「停電用のバッテリーですよ」 主人はローソクをつけて、外へ。まもなく全ての電灯がついた。自家発電だそうだ。 インドは、エネルギーが少なく、計画停電をやっているとのこと。人々は、それに対する自衛策をとっている。 ホテルに帰ってきたのは、夜中だった。 結局、コチンの三日間は蚊もなし、下痢もなし、アルコールもなし。。
by yuyz
| 2008-11-08 10:47
| 出張
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