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プラスチック成形加工学会の二十周年記念誌編集委員の方から、回想記を書くようにと言われた。昔を思い出すのは、あまり好きではないが、歳だからしかたないかと思い、下記の文章を投稿した。
この記念誌はすでに発行されており、ここに再掲することにした。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 回想 「プラスチック成形加工学会と共に歩んだ20年」 「小山、学会を作るぞ。手伝え」。20年あまり前のある日、成澤先生が言われた。 小生は、最初、学会誌の編集委員を担当した。編集委員会で内容を検討し、解説と論文を主体とすることなどを決めていった。 特に印象に残っているのは、表紙をどうするかの問題だった。発行元のシグマ出版は専門家の作製したデザインを十数点もってきて、大きな机の上に並べた。編集委員達がそれぞれ「あれが良い」、「これが良い」などと主張し、意見が交錯し、表紙のデザインはなかなか一つに決まらなかった。 小生は、最初から一つのデザインが気になっていた。白地に青の模様。 じっと静かに、みんなの議論を聞いてから、やおら、これが良いと主張した。 「成形加工と何の関係があるのか」、「意味が分かりにくいのではないか」などの反対が出てきた。 小生は、「すぐ意味が分かるようなものは飽きがくる。それぞれの人が自分なりに意味を考えることのできるものが、長続きする。じっくり育てていけば良いじゃないか。それに、白地の表紙は今までの学会誌に使われてないから斬新だ」と繰り返し主張した。 議論の末、白地に青の模様の表紙が採用された。 以後も何人かから批判をいただいたが、ともかく20年間続いた。時もたち、世の中も変化しているので、そろそろ表紙も変える時期だろう。 学会誌が順調に行き始めた頃に、将来問題を考えようということになった。この時の話し合いで印象に残っているのは、理事や会長といった役員の決め方であった。 まず、会長の任期と再任について。これは比較的簡単に決まった。学会の雰囲気を変化させ、成長させるには会長を変えていった方がよい。会長の任期は2年、再任は無し。 つづいては、副会長の再任について。これがもめた。「副会長は会長のようになるべく色々な方に担当していただいた方がよい。再任無し」という意見。「いや、本学会の副会長は実際に働く副会長でなければならない、したがって何年やっても良いではないか」という意見。結局、「副会長は再任あり。ただし副会長からすぐには会長になれない」という案で決まった。 この「会長は副会長以外の人から選出する」という考え方は、当時も今もユニークだと思う。このルールは現在も守られている。 理事の選出についても議論した。結論だけ書くと、「分野、地域、業種、年齢などのバランスをとって理事を選出する」。次期会長が理事候補を選ぶときに、バランスを重視した。この内、「年齢のバランス」は本会の特徴である。理事の中に30代の会員も、60代の会員もいるのは他の学会では例がないのではないか。 小生が総務担当理事のとき、当時の成澤会長がプラスチック成形加工の標準的な教科書を作りたいという発案をされた。 そこで、この分野で多くの経験がある荒井先生に編集委員長をお願いして、テキストの構成の話し合いをしていった。その結果、第一巻は「プラスチック成形加工へのいざない」を目的とし、数式やデータなどを使わずに考え方のみに焦点を当てよう。第二巻から第五巻までは成形加工の各分野について詳述し、第六巻はまとめの意味で、最先端の成形加工技術をまとめようということになった。 プラスチック成形加工の本質をどのようにとらえるかで議論があったが、「流す」、「形にする」、「固める」の三つで考えようということで落ち着いた。 小生は第一巻の担当となった。 当時のMacintosh、「Duo」をもって、チェコのプラハに向かった。共同研究とテキスト執筆のためである。 昼はチェコの流体科学研究所にお邪魔し、夕方はビールを飲みながらひたすらDuoに向かった。 当時は、インターネットも不自由であり、通信ノイズが多く、ファックスも一度に多くは送れない状況だった。文献や資料が手元にない状態での執筆は、第一巻の趣旨である『「流す」「形にする」「固める」についての考え方をまとめる』ことに適した環境で行われた。 20周年を迎えるに当たって、もう一度「プラスチック成形加工学」のテキストを新たに編纂するのが良いと考えている。 アジアワークショップも強く印象に残っている。 濱田先生から「2001年タイでプラスチック成形加工のワークショップをやる。小山が委員長をやるように」との下命を受けた。 濱田先生と森井先生の献身的努力によって、タイでのワークショップは成功した。 2回目は2002年シンガポールで実施した。小生には非常にスムーズな運営に思われたのだが、実行部隊は大変な努力だったようだ。「委員長は何をしているのか」とのお叱りを受けたのもこのときだった。 その後、中国(2004年)、台湾(2005年)、タイ(2006年)、韓国(2007年)を経て、今回2008年は日本で実施する。 このワークショップは、プラスチック成形加工分野の発展にとって重要な鍵となるものだと思う。「アジアは一つ」という目標に向かって、ゆっくりゆっくりの歩みではあるが、これがつづくと良いなと念じている。 2006年6月に会長となり、「今までの学会のあり方を堅持するとともに、より会員が楽しめる学会にしたい」、そして、具体的重要課題としては、「アジアを中心とする国際化の推進」、「本学会理解者の拡大」、「デジタル情報の利用方針の検討」、「関連学協会との連携強化」」などを掲げた。 2年間の任期を終え、この学会の10年後あるいは20年後に向けての布石は着実に打たれてきたのではないかと考えている。目標達成率は80%と自己採点した。 今後も、この学会が内容を変え、形を変えていきながら、会員が楽しめる場として発展していくだろうと確信している。
by yuyz
| 2008-09-13 09:55
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