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9月22日付けの読売新聞の記事を再掲します。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ある時、計測機メーカーの社長が研究室にやってきて「先生が開発した装置のどれかを商品化させてくれませんか」と持ちかけてきた。小生が繊維に関係する装置を推薦すると、社長は「繊維の装置はこれからあまり売れないのです」と悩んでいた。小生は、ほかにもいくつか紹介したが、結局、社長はその装置を商品にすることに決めた。 会社の若い技術者が来て、実験したり、議論したりし、3年ほど経過してようやく商品化の見通しがついた。1号機は研究室においてくれる約束だったので、楽しみにしていた。 ところが、商品の完成後も、研究室には1号機が届かなかった。どうしたのかと聞くと、「1号機は売れましたので、2号機を研究室に届けます」とのこと。仕方ないかと待っていたが、2号機も売れてしまい、その後、研究室に寄付されたのは何号機か分からない装置だった。 1台、2千万円もする装置がそんなに売れるとはびっくりした。装置は純粋に研究用で、液体を引っ張って液体の流れ方を調べるもの。小生は、その装置についての論文は書いていたが、特許は出していなかった。特許のことは念頭になかったのだ。その会社は我々との間に何の契約書も作らなかった。小生は、自分の作った装置が世の中にでるだけで十分満足だった。 それから1年が経過し、社長が再び研究室にきて、「装置は売れました。そこで、利益の一部を渡したい」と。小生は、慌てて「やめてください」と固くお断りした。しかし、社長は熱心にお金を払いたいと言い続けきたので、小生は、次の装置の開発研究のための共同研究費としていただけませんかと提案。すぐに交渉が成立した。 次の年は、小生が会社を訪問し、社長に1年間こんな研究をしましたと報告してお礼を言った。すると、社長は次年度用にと同額の共同研究費を提案してくれた。この関係が10年ほど続き、そのお金は我々の研究室の研究費の基礎となった。 日本人同士だからだろうか。特許も、契約書もない、信頼関係だけなのに、社長は多額の研究費を提供してくれたのだった。
by yuyz
| 2012-09-25 22:33
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