朝、小白川キャンパスに着くと、目は自然と真っ赤なビートルを探す。
しかし、今日も見つからない。
真っ赤なフォルクスワーゲンのビートルが見つからない日はなんとなく落ち着かない。
そんな日が続いた。
車の持ち主は同僚の中島さん。何回かその車に乗せてもらった。
中島さんが、一昨日他界された。
海岸林についての熱弁。繊細な植物の絵。孫の話。
ロマンあふれる多くの心をいただいた。
テニスは一度も勝てなかった。
昨年の夏、黄疸と身体のかゆみで入院。検査の末に手術。胆管ガンだった。
手術後、
「小山さんだから言うけど、私の病気は75日しか生きられないそうだ」と話してくれた。
「どうして分かったのですか」
「ホームページで調べたのだ。ホームページを見るのではなかったよ」
「人によって、色々でしょう」
としか言えなかった。
それから、ときどきお昼を一緒にして、おしゃべりをした。
「米沢のそばがうまいね」という言葉が耳に残っている。
奥さんの献身的な支えもあって、10ヶ月仕事も続け、がんばられた。
明日は、お別れを言いに、月山を越えて、鶴岡へ。